歩いて楽しい宿場町。集めて楽しい御宿印。さあ、「御宿印めぐり」の旅へ!【「御宿印めぐり」キャンペーンについて】●期間:開催中〜2023年2月26日(日曜日)まで
●内容:愛知県内の対象施設で「御宿印」を無料配布(一人各一枚限り・なくなり次第、配布終了)
●種類:全17種類
●配布施設・応募方法:配布施設、応募方法は
こちらをご覧ください。●コンプリート特典:「金の御宿印」と御宿印帳をプレゼント(先着1,000名)
「御宿印めぐり」キャンペーンについて、詳しくは
こちらをご覧ください。
●お問い合わせ:愛知県街道観光推進事業事務局(ランドマークス株式会社内)
aichi-kaido@lms-g.jp(平日午前10時から午後5時まで)
【豊橋市内宿場のご案内】●吉田宿 吉田宿は東海道の34番目の宿場で、吉田藩の城下町としても栄えました。町の北側を流れる豊川には吉田大橋が架かっており東海道を代表する名所のひとつでした。また“吉田通れば二階から招く しかも鹿の子の振り袖が”の俗謡でも知られ、浮世絵にも二階から手を振る遊女(飯盛女)の姿が描かれています。
徳川家康が慶長6年(1601)に東海道の宿駅整備の際に出した吉田宿宛の「伝馬朱印状」が現存していることから、吉田宿の印にはこの「駒引朱印」の印影をデザインしました。
●二川宿 二川宿は東海道の江戸から33番目、遠江国から三河国へ入った最初の宿場で、東海道の宿場の中では人口で42番目、家数で41番目と比較的小規模な宿場町でした。猿ヶ馬場の茶屋の柏餅が名物と知られ浮世絵の題材になりましたが、実際の猿ヶ馬場は国境の境川をこえた遠江側にあったようです。
参勤交代の大名や幕府の役人などが宿泊した本陣は、幾度か当主が交代していますが、文化4年(1807)に馬場家が本陣職を引き継いでそのまま明治維新を迎えました。
二川宿の印には、二川宿本陣の当主であった馬場家の家紋「丸に釘抜き」をデザインしました。